28話)




「・・・結婚しているの?」
 ふいに聞かれた。
 酒が入ると結構料理もお腹に入るものだ。
 一品一品が少量で出てくるので、たくさん頼んだようでも、そうたいした量にならなかった。
 歩が言った通りに、素朴で優しい料理は単純に旨い。
 おいしい料理に酒が入ると、さらに会話が弾む。
 小一時間もしないうちに、居酒屋は人でいっぱいになった。
 ガヤガヤ騒がしいのに、楽しげな雰囲気に囲まれて、気付けば真理は、彼といろんな話をしていたのだった。
 調子に乗り過ぎて、“河田茉莉”しか知りえない話を、漏らしていたかも知れないくらいだった。
 けれども、彼からのチェックが入らないので、歩だって酔っていて、細かい事はどうでもいい気持ちになっていたのだろう。
 そう思って自由に話していた時の、会話が途切れた瞬間だった。
「・・・・。」
 ある程度、酒が入っていても、一瞬で覚めるくらいの、彼からの言葉だ。
「結婚してる?って・・・えぇ。結婚してるわ。」
(今の私は、里中真理。単身赴任の夫がいる・・。)
 あわてて自分で決めた設定を思い出して語る真理を、歩はチラリと見るだけで、何も言わない。
 とんでもなく、きまりの悪い沈黙が流れた。
「結婚・・してはいるんだけれど、夫は地方に転勤になって、一緒に住んでいないの。」
 沈黙に耐えきれなくなって、真理は続けた。
 白々しい嘘だった。
 歩は、日本酒をクイッと飲むと・・・ビールはある程度飲んだ後は、酒の種類を変えて飲んでいたのだ・・・さりげない風な顔をして、
「じゃあ亭主のいない間は、会いに行っていい?」
 なんて聞いてくるのだ。
「・・・・。」
 茉莉を真理だと気付いていないからなのか?
 それとも、茉莉の嘘を分かった上で、言葉を選んだ文言なのか・・。
 いきなり話を振られて、混乱した上で判断がつかない。
 けれども、彼らしいコメントだと思った。
 一気に楽しかった気分が、吹き飛んでしまった程にだ。
 自分だって散々浮気しているから、夫ある里中真理に『亭主のいない間は会いに行っていい?』だなんて言えるのだろう。
 他の女性も、みんなそんなものだと思っているのだ。
「私は結婚しているのよ。他の人とは会えないわ。」
 ツンと顎を上げて言い切る真理に、歩は目を見開いてクスクス笑いだした。
「今でも十分会ってるだろう。亭主にこの事実を言ってやろうか?
 俺達、キスもしたし、こうやってデートもしている。
 体の関係はまだだけれど・・・。」
(亭主はあなたじゃない!)
 言い返そうとしてハッとなる。
 彼は婉曲に脅迫しているのかも知れなかったからだ。
 マンションを借りている事実を、表沙汰にするぞ・・と。
 その可能性が思い至ると、真っ青になった。
 顔色を変えた真理の顔を、歩は真剣な表情で見返してくる。
 するどい瞳の色は、容赦なく強かった。
 あれだけ飲んでも、歩は酔っていなかったのだ。
「賭けてみるかい?
 俺は本気だぜ。この事を知った“奴”は、どんな手段を取ってくるだろうな。」
 まるで真理の心の内を読んだようなコメントを出した瞬間。
 真理の負けだった。
 ガックリと肩をおとし、
「分かったわ。彼のいないうちは、あなたと逢ってあげる。」
「じゃあ決まりだ。」
 勝ち誇った表情を浮かべた歩は、ちょっと考えこんだ後、手帳を取り出し、
「明後日だと時間とれるな・・。」
 なんてブツブツつぶやいて、真理を見上げ、
「明後日の昼からは、時間とれるかい?」
 聞かれて言い返す力が残っていなかった。
「大丈夫だと思う。」
「きっとマンションで待っていろよ。」
 言われてコクンとうなずくのだった。